やりたいことは、やってみよう。「日常」は、もっと自由になれるから。ツリーハウスを囲んで暮らすシェアハウス
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かなちゃんの話(1)

2011年07月02日

大関商品研究所は、最初は大関さんがひとりで始めました。
企画も、経理も、施工も、基本的には自分の手で、ひとりでやっていました。
店舗数・物件数は増えても、まず大関さん自身がユニークな物件をみつけ、
そこをどう使えばおもしろいか、ひたすら考える。
その「考える」作業が一番楽しい、と言います。

バウハウス高円寺をつくるときも、大家さんから鍵を借りて、
ボロボロだった下宿屋さんの中にひとり座って、
一日中、どう使ったらおもしろいか、ずっと想像していたのだそうです。
その結果、出てきたアイディアが「シェアハウス」だったのですが、
大関さんはまだ「シェアハウス」がどんな物かさえ、よく分かっていませんでした。

仏師は仏の姿を木に刻みつけるのではなく、
木の中にすでにある仏を彫り出すのだといいます。
ちょっとカッコいい言い方をすれば、大関さんは「仏師流」なのではないでしょうか。
そしてそこが、大関商品研究所の「企画力」のツボなんだと、私は思っています。
さらにいえばその「企画力」が、大関商品研究所の強みだとも思います。

私は社外(所外)の人間として、大関商品研究所の姿を見ていて
(そんなに長いこと見ていたわけではないですが)
今年に入って大関商品研究所、「爆発してるな」と感じています。

その爆発力の、まさに起爆剤になっているのが
新入所員の「かなちゃん」なんじゃないか、と思うのです。

かなちゃんの名刺の肩書きは「企画 広報 船長」となっています。
いま大関商品研究所では、飲食店や住宅にとどまらず
さらにユニークな不動産を手がける企画がいくつも動き出しているのですが
そのひとつが「海賊屋形船を作る」という企画。

海賊船だけでなく、銭湯をリノベーションしたパン屋さん&カフェや
この「なんじゃもんじゃハウスプロジェクト」もリーダーとして進めています。

かなちゃんの入所をキッカケに、
大関商品研究所の強みである「企画力」が、爆発的に加速しているように見えるのです。
まあよく「右腕」と言ったりするわけですが、
仏師の腕が、いきなり千手観音みたいに増えちゃった感じ?(わかりづらいかな…)

かなちゃんの前職は、様々な企業の展示会・イベントの企画提案型営業。
たぶん世の中的には、「バリバリ働くキャリアウーマン」。
バウハウス南千住に、オープン以来住み続けている現住人でありながら
彼女自身オーナーである「ニジノワムラ」というシェアハウスを運営しています。
このニジノワムラをつくる際、大関さんに全面協力してもらったことをキッカケに
2011年4月に大関商品研究所に入所したばかり。

シェアハウスの住人が、自分でもシェアハウスを作って大家さんになった?
さらには、シェアハウスの住人が、そのシェアハウス運営会社の社員になった?
ちょっと、いやかなり変わったケースだと思います。

 

今日はそんな、かなちゃんの話を書きます。

かなちゃんは、旅行好きです。
多忙な会社員の身でありながら世界一周をしたこともあります。
旅先で泊まったゲストハウスや
北海道をツーリングしていたとき、滞在したライダーズハウスが楽しくて、
さらには、そうした宿をやっているおばちゃん・おじちゃんたちが楽しそうで。
20代半ばには、自分もいつか宿やゲストハウスをやりたいという夢を持っていたそうです。

20代も後半になり、そろそろ夢に向かって動き出さなくてはと考えた、かなちゃん。
「ゲストハウス」を検索していたところ、ひつじ不動産のサイトに出会います。
そこで一番最初に目を留めたのが、バウハウス南千住でした。
「すごくカッコいい!」「絶対住みたい!」と思っただけでなく
なぜか「絶対住める」「ここに住むんだ」と確信したのだそうです。

ちなみにこのとき、かなちゃんはまだ「シェアハウス」がどんな物かさえ
ゲストハウスの違いさえ、よく分かっていなかったと言います。
そんなところ、誰かによく似ています。

他の物件(シェアハウス)を全く見ることなく、すぐに応募。
あとから聞けば、12部屋に120人ほどの申込があったそうです。

2009年7月7日、七夕。
バウハウス南千住での七夕パーティで
かなちゃんは短冊に「ムラをつくる」と書きました。
若者が、動物を飼ったり野菜を育てたりしながらのんびり楽しく暮らせる場所。
「ゲストハウスをつくりたい」という夢は、シェアハウスでの共同生活を通じて
そんな「ムラ」のようなコミュニティをつくりたい、という夢に育っていました。

7月末、大関さんにその構想を打ち明けました。
「ムラをつくりたい」というかなちゃんの夢に
大関さんも「僕もそういうのつくりたいと思ってた」と共鳴。
大関商品研究所が温めていた溝の口の土地を、ムラの計画地として、
1ヶ月ごとに報告会を開きつつ、一緒にプロジェクトを進めていくことに。

ところが、建築許可がなかなか下りない等、計画は難航。
ここから年末までは、なかなか思うように進まない日々が続いていました。

つづく。

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